インストラクター紹介
■日本舞踊の師範である母と医療従事者である父の長男として生まれる。
が、日本舞踊を習うこともなく、医学の道にすすむこともなく普通の会社員で過ごす。
40才のとき突然にアルゼンチンタンゴにのめりこむ。
時間やお小遣いはほとんどアルゼンチンタンゴのために使うようになってしまう。
キャリア3年目で指導アシスタントを始め、そのままズルズルと教え続けている。
2006年3月にブエノスアイレスに行き本物のサロンタンゴを見て、その美しさに感動し、
立ち姿勢・アブラッソ・カミナンドの重要性を思い知り、それらの練習をはじめる。
いちおう頑張っている成果があり、アルゼンチンのトップダンサーからも「けっこう、いい動きができるじゃん。」
と評価される。(お世辞をまじめに信じ込むタイプです。)
まわりの方々からはオタッキーと言われるが、本人はいたって平凡な人間だと思っている。
「タンゴダンスと私」
●タンゴってどんなの? タンゴとの出会い
30才台の後半からボンヤリと新しい趣味を始めたい気持ちになり、参考にしようと友人・知人から話をいろいろと聞いて探していました。
ある日、社交ダンスのインストラクターをしている知人から
「ダンスどう? 社交ダンスは向いていないと思うけど、サルサとかアルゼンチンタンゴは向いてると思う。」と言われたのですが、
サルサはちょっとだけ知っていましたがタンゴについてはまったく何も知らなくて、さっぱりイメージもわかずに完全スルー状態でした。
その数日後にテレビで偶然に、世界の民族音楽と舞踊を紹介するという番組を観ていまして、サルサとアルゼンチンタンゴがどんな音楽でどんな踊りなのかを知るチャンスがあり、ぼんやりとイメージが持てるようになりました。
当時に通っていたスポーツジムのスタジオメニューにサルサダンスとアルゼンチンタンゴダンスがあることを知りまして、スタジオのガラス越しにガン見するのはマズイと思いランニングマシーンや自転車漕ぎをしながらチラ見を繰り返してジックリ観察してみました。
両方共なんとなくできそうだな〜と思ってチョイと習ってみようという気分になり、スポーツジムのメニューは時間的な制約があったので先生の主宰する教室に通うことにしてサルサとタンゴ同時デビューとなりました。
教室のレッスンスケジュールの関係もあり、当初はサルサのレッスンを多めに受けていたのですが、レッスン回数の少なかったアルゼンチンタンゴのほうが順調に習得していけたので、次第にアルゼンチンタンゴのレッスン量が多くなってハマッていくのですが、このときのサルサのレッスンが後々にアルゼンチンタンゴの上達に大きく関係します。
●本場のタンゴ こりゃ別物だゎ
レッスンを受けて4年半が経過したときにタンゴの本家であるアルゼンチンのブエノスアイレスに行くチャンスが得られました。
タンゴダンスにはデモンストレーション用とパーティ用の2種類の踊り方があることは認識していましたが、
当時の私の認識は、デモンストレーション用の簡略版がパーティ用だと思っていました。
上手な人達が集まるミロンガ会場があると聞いて、そこへ行ってみましたら、皆さん粛々と踊っていらっしゃいました。
なんだよ、私のほうが上手いじゃん!
と思いました。
その根拠は、私のほうが多くのステップを派手に使って踊ることができるから、でした。
滞在して数日後、この大ボケ小僧を現地の人々が救ってくれました。正確に言うと叩き起こして目を覚めさせてくれました。
タンゴダンスのデモンストレーション用とパーティ用の2種類の踊り方は上下関係ではなくて、別モノでした。
発声方法を例にすると、ヒソヒソ話するときの発声と舞台で芝居する演者の発声の違いくらい別モノです。
ミロンガ会場における選曲についても現地DJの方から詳しく話を聞くことができて、当時の日本の選曲はてんやわんやだと分かりました。
本物は、やっぱり、本物の価値ってありますよね。
●ジャパンタンゴかアルゼンチンタンゴか 選択&洗濯
日本に帰国して、言葉だけ理解していたジャパンタンゴとアルゼンチンタンゴの違い、をあらためてハッキリ認識しました。
日本の某カレー専門店がインドに出店して現地人から「旨い、これは流行る! ところでこの食べ物の名前は?」
って逸話があったり、
日本人として、アボカド巻きは寿司じゃない!と主張しても、、、。
なのでジャパンタンゴとアルゼンチンタンゴのどちらを習うかは各人が自由に選べばよいです。
問題になるのはジャパンタンゴを本家のアルゼンチンタンゴと誤解してしまうことです。
その誤解はキレイに落とさないといけないと思います。
●無謀な野望へ変貌 一掃して妄想へ疾走
ブエノスアイレスの上手い人達が集うミロンガの光景を忘れることができず、名古屋のミロンガで、少しでも近い光景が実現できたらイイナ。
と夢みています。
もちろんブエノスアイレスのミロンガの歴史は100年以上あるしタンゴ人口も桁違いですから、地元の三大劇場でさえ赤字経営って文化不毛の名古屋で何ができるのか・・・
更にこの25年間でレッスンを受ける人が最も少なくなっているのに、自称:達人!の大増殖という現実に、ごく一部の人は危機感を抱えていますが
多勢に無勢で吹き飛ばされたり潰されたり。でもなんとかしないと。
そんなこんなの、この地域のタンゴダンス事情を、どのようにすれば本場に近づけていけるのか。
私が生きている期間には実現できないとしても、次の世代に良いバトンタッチができるような流れが作れれば、まずは上出来でしょうか。
今年も少しだけでも着実に進んでいきます。